寺田屋


著者:リチャード・パーキンス
撮影日:2020年12月30日
住所:〒612-8045 京都府京都市
伏見区南浜町263



「寺田屋」は京都府京都市の伏見区にある旅館です。当時、他の旅館とそこまで異ならなかったでしょうが、歴史上で2つの有名な「寺田屋事件」と呼ばれる事件がここで起きました。

1つ目の寺田屋事件は「薩摩藩志士粛清事件」です。

「寺田屋騒動」とも呼ばれている文久2年(1862年)4月23日に起きたこの事件は、薩摩藩(鹿児島県)の指導者だった島津久光(しまづひさみつ)と精忠組(幕末の薩摩藩に存在した組織)の有馬新七(ありましんしち)の間で起きた粛清事件です。島津久光は1000人を率いて尊皇攘夷(そんのうじょうい=天皇を敬い、外国人を日本から追い払うという政治的な思想)を企ているのではないかと有馬新七が誤解してしまいました。実際にどうなっているのか2人が話し合おうとしましたが、話し合いが上手くいかず、斬り合いに展開していきました。

2つ目の寺田屋事件は日本人なら誰でも知っている「坂本龍馬」という日本の幕末に生きていた人物にまつわる事件です。

坂本龍馬は優秀な剣術家で、戦っていた長州藩(山口県)と薩摩藩の仲直りができました。その上に、長崎県で日本最初の商社と言われている「亀山社中」の設立にも関わり、業績をいくつか残していた優秀な日本人の1人でした。

「坂本龍馬襲撃事件」と呼ばれている2つ目の寺田屋事件は、薩摩藩志士粛清事件が起きた4年後の事件です。坂本龍馬が寺田屋に宿泊していた慶応2年(1866年)1月21日に伏見奉行だった林忠交(はやしただかた)が派遣した30人の捕り方が寺田屋を取り囲みました。丁度入浴している坂本龍馬の奥さんのお龍(りょう)が捕り方に気が付き、裸のまま2階へ龍馬に取り囲まれている状況を知らせました。

そして、坂本龍馬が捕り方に襲撃され、持っていた拳銃で頑張って戦いましたが、手に負傷してしまい、戦えなくなりました。長州藩の護衛として坂本龍馬と一緒に寺田屋に宿泊していた三吉慎蔵が代わりに応戦し、坂本龍馬は無事に寺田屋から脱出することができました。

この2つの事件が起きたことで、寺田屋という旅館が知られるようになりました。寺田屋は鳥羽・伏見の戦い(1868年)に火災に遭い、焼失されました。現在の寺田屋は再建された物ですが、同じ構造で建立されていて、400円で見学することができます。宿泊も可能だそうです。

豆知識ですが、坂本龍馬が上洛するたび、必ず寺田屋に宿泊しました。この旅館は、坂本龍馬と長州藩の定宿でした。





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寺田屋が取り囲まれていた時に坂本龍馬の奥さんが入っていた風呂です。



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